葬儀社天国社によるスタッフブログ

タレントの“みのもんた”さんの奥様がお亡くなりになりました。
みのさんの会見での言葉が胸に響きましたので、ご紹介させて頂きます。
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記者「奥様のお仕事は?」

僕のスタイリストをしてくれて、
僕と一緒に番組に参加する気持ちで取り組んでいました。

がんは侮れない大変な病気だけれど、
でも今は克服できる時代だと希望を持っていました。

「誰にも言わないでほしいし、誰にも迷惑をかけたくないし、あなたと子供たちで支えてほしい。

絶対に公にならないように、世間を騒がせないようにしてくださいね」と言われていました。

私は番組終わりにその日の新聞を持って、
毎日病院に通う日々でした。

病院も大変協力してくれて、
おかげさまで誰にも気づかれなかった。

「あなたはおしゃべりだからしゃべっちゃだめよ」
と言われていましたね。

記者「体はつらかったんですね?」

そうだったと思います……。

彼女は毎朝3時に起きて衣装を僕に渡し、
5時半に番組がスタートすると、
デスクの女性と話していた。

毎日。

入院してからは病院に許可をもらって携帯電話で。

療養生活なんだからやらなくていいと言ったんですが、

「急に朝連絡が取れなくなったらおかしいでしょ? 自分の責任もある」って、
毎朝電話で衣装のチェックをしてくれた。

だからスタッフも誰も気がつかなかった。

夏休みを取るまで(スタイリストを)続けていました。

夏休み後は「まだニューヨークですか?」とスタッフに言われて、
「うん」と答えていた。

記者「ニューヨークの時間は大切な時間になりましたね」

そうですね。

今、しみじみ思います。

彼女が元気でいるときは、
当たり前のように感じていましたけれど。

まだ、3日もたっていませんけれど、喪失感は大きいです……。

ちょうど50年の付き合いだから当たり前だと思っていたが、
大事な存在だったんだな。

僕と一緒に番組に参加する気持ちでやってくれていた。

日に日に強く思います。

何でもっと早くに気づかなかったのかな。

記者「一番の思い出は?」

たくさんありますけれどね。

これからもたくさん出てくると思いますし。

ただね、(自宅に)帰ってきて、自分で衣装室ってあんまり入らない。

入りましたら……(6月の衣装の準備まで)きれいにできてたんだ(涙を流す)。

それを見たときが本当につらかったです。

あくまでも僕個人の問題ですので、
一般の方々に迷惑をかけたくない。

つらいです。

何がって言われると、
うまく言えないけれど。

いとおしいなっていう気持ちが強いです。

今日のこの衣装は、(妻が用意した)今日のものです。

7月からの僕の衣装は、
とんちんかんになると思います(笑顔を見せる)。

記者「いつも言っていたことは?」

いつも怒られていました(笑い)。

「もっと相手にしゃべらせて」とよく言われました。

記者「奥様はどういう人でしたか?」

子どもは3人いますが、
僕を含め4人みたいなものだった。

(点数を付けるなら?)100点満点。

してあげたかったことはたくさんありますね。

できればもっと優しくもっと一緒にいるべきだった、いてあげたかった。

記者「奥様への言葉を」

生きているうちに、
なんで言えなかったかな。

一日一日、
眠ったような顔でいますでしょ?

こんなにいとおしい人がいたんだなってことが分かりました。

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本当にお辛い時だと思います。

それでも、
記者会見をして、語るみのさんは、

やはり奥様の事が大好きで大好きで、

いつも陰で支えてくれていた事を、

多くの人に伝えたかったのではないでしょうか・・・

「ありがとう」という感謝の気持ちと共に、

今の自分がいるのは奥様のお陰だよ!って。

奥様のご冥福をお祈りいたします。

伊都会館 岡でした